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ハリケーン体験記 #7

 総括なんて、偉そうなことではなく、ここまでに書ききれなかったことについて簡単にまとめておくことにします。

[嵐の前][ハリケーン接近中][暴風雨の中][軟禁生活]
[脱出開始][シカゴに到着][シカゴで一泊] → [総括]


New Orleans市内の様子
 聞くところによると、New Orleansは必ずしも裕福な街ではないために、時間をかけて建物を増改築させてきたとか。つまり、見方を変えれば、ハリケーンの被害の修復を一気に進めてしまうと、これまで守ってきた町並みを完全に破壊しかねないと言うことのようです。時代の洗礼を受けた街であることは、左の写真からも想像できるのではないでしょうか?

 真ん中の割れたガラスの写真、なんだと思いますか?実はこれ、同じホテルに滞在していた人が、昼間にいきなりいすを使ってガラスを割った後の写真です。こういってしまうと元も子もないけれど、常識が通じない人が、世の中には少なからずいるようです。ホテルの中でろくな事をしていなかった人ほど、教育を受けていなそうな顔つきをしていたことを考えると、教育も重要なのかもしれません(それにはお金が必要なのだが・・・)。

 右側の写真で車の間に転がっている変な物体は、おそらく誰かが作った芸術作品の残骸。ハリケーン前は、トーテムポールの様な柱の上に乗っかっていたはずですが、ハリケーンの風雨で道路に落ちてしまったのだと思います。車の大きさと比べれば分かるけれど、こんなに大きなものがいとも簡単にとばされてしまったというのは、すごいことだと思います。

 

軍用食など
 スーパードームでもらった、軍用食についても簡単に。左の写真にあるような袋が段ボールに20個ほど入っていましたが、よく見ると、どれも種類が異なっていました。一部は、ベジタリアン向けになっていたことを考えると、様々な人が口にする、と言うことを考えて作られているのだと思います。
 中身はパッケージによって若干異なりますが、メインの料理(ハンバーグとか、ビーフテリヤキなど)の他に、パン(クラッカーに近い?)やフルーツ(缶詰のようなものもあれば、ドライになっているものも)、それからジュースの素などが入っていました。一応、加熱して食べられるように工夫されていたり、パッケージの一部をポストカードとして使えるようにしていたり・・・と、なかなかうまく作られています。そうじゃなきゃ、イラクに行っている兵士が反乱を起こすんじゃないかという気もしますが(笑)。

 

今回の損失
 ハリケーンで全てを失った方々に比べれば、微々たる金額ですが、一体いくらドブに捨てたのか、ざっと計算してみました。

 宿泊できなかったホテル(No refund)
  $123  @Fort Worth(2泊)
  $92  @Dallas(1泊)
  $318  @Chicago(2泊)

 San Antonioでの宿泊費など
  $55  (ホテル代+タクシー代など)

 搭乗できなかった飛行機代(No refund)
  $338  (DFW --> ORD)

 Chicagoへ行くための経費
  $179  (SAT --> ORD)

 合計するとおよそ$1100、つまり、ハリケーンを見たために12万円も無駄にしたことになります。私の場合は、夏休み中の旅行だったのでこんなもので済みましたが、もし、家が洪水で流されたりしたならば、もっと大変なことになっていたと思います。ちなみに、レンタカーを使っていたらどうなっていたのでしょう?誰かが保証してくれるのでしょうか?(車は動かなくなるはずなので・・・)

 

いろいろ雑感
 もしかすると、ハリケーンから逃げるチャンスが何回かあったのかもしれませんが、後になって考えてみても、それがいつだったかを判断するのは難しいように思います。個人旅行とはいえ、完全に予定が決まっていると身動きが取りにくくなる事は確かなようです。ラボの一部の人には、何で逃げなかったの?と(人ごとのように)言われましたが・・・。

 決して営業妨害をするつもりはないけれど、Park Plaza Hotelに泊まると、ろくな事がないように思います。以前、ボストンで大雪にあった時もPark Plaza Hotelを利用していたので・・・。それ以上に気になるのは、アメリカで一人旅をすると、かなりの確率でトラブルに巻き込まれていると言う、紛れもない事実。そんな運命にあるのか、アメリカという国はそんなところなのか定かではありませんが、私のことなので、これからも、何かに巻き込まれるような気がします(不思議と、無事に帰ってこれるのが救いですが)。

 私の中では、8/30(避難生活の2日目)が、最低の一日でした。洪水により水位が上昇しているけれど、外部から避難情報や洪水情報が入って来る訳でもありません。また、停電・断水が続いてるにもかかわらず、それほど多くの食糧を確保していたわけではないので、命の危険は全く感じなかったけれど、長期戦になることが何となく予想でき、憂鬱な気分に浸っていました。この頃から、泣き出す子供や、口論している人たちをあちらこちらで見かけたような気がします。

 まだ電気が使えていた頃(つまり、ハリケーンが接近しつつあった頃)、テレビでBush大統領がLouisiana州などの復旧のために協力するという法案にサインをした、と言っていた割には、本格的な救助が始まるまでにずいぶん時間がかかったように思います。それなりの数の兵士が派遣されていたのかもしれませんが、個人的には、それらがまともに機能していたようには見えませんでした。指示系統が全く機能していなかったのか、彼らが必至に働くことを拒否していたのか、詳しいことは分かりませんが。

 ハリケーンが来る前に、ダイエットコークなども買っておいたのですが、後から考えると、カロリーを取らねばならない時には、普通のコークの方が役立ったかもしれません。事実、食べるものがなく、ホテルの部屋にあった、コーヒー用の砂糖をなめて気分を紛らわしたこともあったので(ブドウ糖を取るという意味では有益なはず?)。

 英語は大切、と多くの人が言うけれど、今回の一件では、ホテル側の人が与えてくれる説明が理解できないような英語力では意味がないと感じました。英語がほとんど話せなくても、彼らの説明が理解できれば身動きが取れるけれども、今回のような危機的状況下においては、必ずしも従業員が丁寧に説明してくれる訳ではない(日本で見かける英語教材のようにゆっくりと話してくれる事はない)ので、中途半端な会話能力よりも情報収集能力(英語の聞き取り)の方がよっぽど大切だと感じました。

 ホテルの中や避難の最中に色々な人を見ましたが、40歳になったら自分の顔に責任を持て、と言う言葉がアメリカでも成り立っていることを再認識しました。どちらかと言えば低所得層とおぼしき黒人の方が、怒鳴ったり、騒いだり、禁煙のはずのスクールバスでタバコを吸ったり・・・とやりたい放題。同じ黒人でも、ちゃんと教育を受けている人には苦々しく映っていたようです。もっとも、白人でも、バカっぽい顔をしていた人は、しょうもないことばかりしていたのも事実。収入・教養(教育)・行動には、それなりに相関関係があるようです。

 もう一度New Orleansに行ってみたいか、と言う問いに対して、多くの人は"No"と答えていましたが(あの状況下なら、だれもがそう答えると思うけれど・・・)、私は、10年くらいたって、それなりに復旧した頃に、もう一度New Orleansを訪れ、市内がどのように変化したのかこの目で確かめてみたい気がします。もちろん、ハリケーンの時期は避けるつもりですが・・・。New Orleans料理を食べるのは、それまでおあずけですね。

 私がNew Orleansに行くことを知っていた何人かの日本人の友人は、口を揃えて(?)、私のことだから、どのような環境でも生きていけるでしょうが・・・と、コメントしてくれました。無事に帰ってこれたので、これもネタになっていますが、なぜ、私が旅行に行くとトラブルに巻き込まれる事が多いのか不思議でなりません。そんな星の下に生まれてしまった不幸(?)を嘆くよりは、これに懲りず次の旅行の計画を立てる方が、私の性格からみても適しているはずですが。

 その一方、大学の人たち(アメリカ人など)は、結構心配していてくれたようです(意外にも、私のボスも、私の携帯に電話をしてくれたらしい)。やはり、これだけの被害になると、アメリカ人にとっても衝撃的だったのでしょう。そんなわけで、ミシガンに戻った週は、よく戻ってきたねぇ・・・と言う趣旨の飲み会が数回ありました。もちろん、本当の目的は、私が戻ってきたことではなく、ただ単に、飲みに行く理由が欲しかっただけでしょうが、「持つべきは友達」、と言うことにしておきたいと思います。

 

図らずもこんな体験をしてしまった私の冒険記を見た方々、感想やコメントがあればこちらまで。

 

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