ハリケーン体験記 #6
16:30頃、ようやくバスが動き始めました。運転手が道を間違え引き返したりしていたので、一体どこに行くつもりなのかと思っていたら・・・。
[脱出開始] → [シカゴに到着] → [シカゴで一泊] → [総括]
New Orleans空港へ (9/3/05)
アメリカの小学校を出た訳じゃないから、私にとってはスクールバスは初体験。そんな話をNJ州から来ていたアメリカ人にしたら、大笑いされてしまいました。ちなみに、日本では、幼稚園(保育園)をのぞけば、スクールバスなんてほとんど無い、と言ったら驚いていました。日本(都市部)は電車やバスなどの公共の交通機関も利用できますが、鉄道と言えばAmtrakを思い浮かべるような人々にとっては、そんな状況はイメージしにくいかもしれません。
空港内 (9/3/05) これからどうなるんだろう、とまた不安になりましたが、気を取り直して行列の最後に並ぶことにしました。その後、色々ありましたが、夜の10時頃に何とか飛行機に乗り込むことに成功。さらに、ファーストクラスシートに座れるという幸運にも恵まれ、無事にNew Orleansから飛び立つことができました(でも、離陸したのは午後11:30)。
今回のドタバタで一番ラッキーだったことは、数人の白人旅行者のグループの仲間に入れてもらえたことだと思います。彼らにしても、変なアジア人が一人でNew Orleansに遊びに来ていたのを不思議に思ったのかもしれません。今になって考えると、私の英語能力は未だにひどいものですが、彼らが私に問いかけて来たことはだいたい理解できていたのが大きかったんじゃないかと思います。もし、私が彼らの言葉を全く理解していなければ、一緒に行動することはなかったのではないか(どこかで捨てられたのではないか)、と言う意味で。 さらに、ラッキーだったのは、そのグループの中の一人(インタビューを受けている人)がAir Canadaのお偉いさんだったようで、ちょっとずるい手(?)を使って、New Orleansから脱出するための飛行機を確保してくれました。具体的にどんな事をしたのかは分かりませんが、私がファーストクラスシートに座れたことからも、特別なことが起きたのが想像できるのではないかと思います。 実際には、簡単にSan Antonioに飛べたわけではありません。はじめは、Air Canadaの飛行機でTorontoに飛ぶから、そこからChicagoに移動してもらうことになるかも・・・、と言われていました。パスポートやDS-2019など、一通り必要な書類は携帯していましたし、ビザも失効する一ヶ月前だったので何も問題はないはずでしたが、万が一、アメリカに再入国する際に問題が起きたら(事実上、日本への強制送還(?)になる)・・・と考えると、ちょっとドキドキしてしまいました。 MSY空港の内部は、病人が寝ていたり、New Orleansから脱出しようとする人が長い列を作ったりしていて、大変混雑していました。さらに、他の空港(HoustonやDallas)やその周囲にある避難施設も避難してきた人々でごった返していて、大変な状況になっている、と言う情報も耳にしました。私の乗った飛行機がちょっと離れたSan Antonioに向かったのには、そんなことも関係していたようです(スーパードームから脱出できても、すぐに飛行機に乗れる訳でもない、と言うことになるかもしれません)。
San Antonioに到着 (9/4/05)
基地内でスナックやジュースをもらったのですが、メディカルチェックを受ける建物の中で、再度、荷物チェックがあり、そこで、缶ジュースや缶詰の類を全て没収されました。数分前にもらったジュースを、一口も飲まないうちに没収されてしまったことは、同じ敷地にある部署間の連携の悪さもさることながら、それまでろくに食事を取ることもままならなかった避難民(?)の私にとって、安全のためとは言え食料を無駄にしている状況を受け入れねばならなかったと言う意味で、後味の悪い出来事となりました。 結果的には、私は基地の外のホテルに泊まりましたが、多くの人は、基地の中で一泊(もしくはそれ以上)したはずです。グループとして行動していたので、案外お気楽な気分でしたが、もしも、一人でここまで来ていたら、かなりナーバスになっていたんじゃないかと思います。事実、New Orleansのホテルから出た後の方が、色々なトラブルに巻き込まれる可能性が高かったので。 San Antonioの空港のそばにあるホテルに着いたのは午前3時頃、そして、ようやく、一週間ぶりに湯船につかることができました。その後、翌日のフライトの調整に手間取り(一緒に行動していたアメリカ人が、状況が状況だからと言うことで、代わりに電話をしてくれたのですが、かなりの時間がかかってしまいました)、寝る頃にはほとんど夜が明けていました。 ちなみに他の人たちも、San Antonioから自宅へ戻るための飛行機の手配に苦労していたようです。ある人は、Houstonまでレンタカーで移動し(3-4時間でいける)飛行機に乗ったはず。また、別の人は、とりあえず空港に行ってそれから考えると言っていました。私のように、余計な出費を強いられたとは言え、すんなりとChicagoに飛んでいけたのは、かなり恵まれていたんじゃないかと思います。
ついにChicagoへ (9/4/05)
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