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LA に長期滞在 (2007.7〜2007.8)


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8/31/07
    何をしていたのかわからないうちに8月も終わってしまった。これだけ仕事が進まないのは、仕事の量の問題ではなく能力不足を疑った方がいいのかもしれない。それはさておき、何気なしに給料明細を見て驚いたのは、税金やら何やらで、1/4 が天引きされていたこと。つまり、平日と休日の労働時間をそれぞれ60 h(12 h x 5)と20 h(10 h x 2)とするならば、私の休日出勤はすべてアメリカ政府に捧げられている計算に。これは、困った時に助けてくれない政府に時間を捧げる位なら、ビーチでビールを飲めという暗示なのだろうか?

8/30/07
    いつぞやのハリケーン襲来から早くも2 年が経過。ニュースを見る限り、復興は進んでいるけれど、その過程はまだまだ道の半ばというのが本当のところだろう。さて、前々から、街が完全に復旧した頃に、もう一度New Orelens へ行こうと目論んでいたのだが、来春の某学会がNO で開催されることが判明。ボス曰く、発表するネタのある人はどんどん参加せよと言うことなので、私も前向きに検討することに。真の目的は学会参加だが、街がどのように変わったのかをこの目で見る機会があるならば、これはありがたい話である。

8/28/07
    ドイツ系企業の人と昼食をともにする時間があった。せっかく(?)なので、旧東ドイツについて聞いてみたところ、西側との格差はなかなか解消されないとのこと。基本的に貧しい事もあり、大学に行っていない人が多いようで、結果的に賃金の高い職業へ就く機会がかなり制限されてしまうらしい。労働者の質が低いと、企業も進出をためらうだろうから、悪循環が続いていると言えるかもしれない。付加価値の高い物を売るには、それなりの質の労働力が必要になると言うドイツの現状は、日本によく似ているような気がしてならない。

8/27/07
    某アメリカ人が唯一知っている日本語は「私は足が長い」だそうだ。彼女は私よりも背が高い(185 cm 以上?)ので、足が長いのは一目瞭然だが、日本でそんなことを口にしたら、自慢してるの?と言われるのがおち。靴を買う場合には使えないの?と聞かれたが、その場合は「足が大きい」となるので、やはり普通の人は足が長いとは口にしない。もっとも、足の長さ(long)と靴のサイズ(big)では別の表現を使うのは英語も同じ。正しい表現を学ぶには、どのような言語でも、それなりの時間を要すると言うことなのかもしれない。

8/25/07
    大学に着いてからメールを見たら"My ipod went missing from its usual place in my office." なんて書かれたボスからのメールを発見。気持ちはわからなくもないが、わざわざラボのML で流す必要があることなのか、と言うのが私の本音。iPod の中にはいろいろな情報(含、日本の音楽)が含まれているので、買い直したくはない、とは本人の弁だが、学生の反応は実はカバンの中にあった・・・、なんて事になるんじゃないの?と至って冷ややか。だって、基本的には、彼の部屋に入れるのは、本人と清掃作業員だけなのだから。

8/23/07
    某学生さんが、アイスクリームを食べに行こうと言い出した。この辺りでは有名な店だけあって、いつ見ても行列ができている事と、店の前から漂ってくるあまりに甘い臭いのため、今までは何となく敬遠していたのだが、物は試しに挑戦してみることにした。とは言っても、名物のクッキーサンドではなく普通のアイスクリームだけれど。味は可も不可もなく、と言ったところだったが、予想外の低価格には驚かされた($1.5 for 2 scoops)。過去に目にしてきた無駄に長い行列は、味よりもコストパフォーマンスのせいだったのだろうか?

8/21/07
    Medical school の中にある食堂からの帰り道、見知らぬ人にnickel を持っていないかと聞かれた。自販機を使いたのだが小銭が足りなかったようで、彼にnickel を手渡したところ5 枚のpenny を返してくれた。しかし、お世辞にも使い勝手がいいとは言えないpenny は、あまり引き取りたくなかったのだが、後でそれらを眺めてみたところ、一枚だけちょっと古い硬貨が紛れていた。実はこれ、父親の趣味であるコイン収集のリストでは空欄になっていた物。結果的に親孝行になったという意味で、両替は善行だったのかもしれない。

8/19/07
    WI で再会した知人との会話の中に、彼の妹がLA へ引っ越すと言う話が出てきた。メキシコに留学経験のある彼女はLA の高校でスペイン語を教えるらしいが、彼自身は英語しか話せないとのこと。「日本語だけしか話せないよりはいいんじゃない?」と聞いたところ、"I'm lucky." という言葉が返ってきた。日本語が英語より劣っているとは全く思わないが、研究をする上での英語の意味合いを考えると、彼の本音が見て取れなくもない。優秀な研究者でさえも、いくつかの弱点があると知れば、私の気も少しは軽くなりそうである。

8/17/07
    昼にボスがbagel を食べに行こうと、部屋へやって来た。だいたい誘いに来るときは何か理由がある物なのだが、今回も例に漏れず、来週からの学会で使うスライドを一枚作ってくれと言い出した。たかが一枚とは言え、いろいろ調べてプロットせねばならないので、それを仕上げるにはかなり時間がかかることに加え、明日の知人の結婚式のため、今夜の最終便で、Wisconsin へ向けて出発せねばならないと言うのに。どうして、もう少し前に言ってくれないのかと毎回感じるけれど、言うだけ無駄というのはこのことなのかもしれない。

8/16/07
    私の家のそばには、0.5 mile ほどの間に5 ヶ所のバス停が乱立していた。なぜこんなにバス停が必要になるのか前々から疑問に感じていたのだが、ついに(慢性的な交通渋滞に悩まされている)下り線だけ、2 ヶ所のバス停がお取り潰しにあってしまった。できる限りバスを定刻通りに走らせるためには当然の処置と言えるが、最寄りのバス停が消えた身としては些か迷惑な話である。100 M も歩かないうちに次のバス停にたどり着けるとはいえ、均等な距離でバス停を設置するならば、他のバス停が潰されるべきだったという意味で。

8/14/07
    最近、数人の新人が加わったのだが、秘書がそのうちの一部に対し文句を連発していた。私に言わせれば、採用の際、ボスは論文リストは見ても、その人の真の能力をほとんど見抜いていないだけに、これは当然の帰結。結果的に、1 週間もしないうちに(期待していた仕事をこなせそうもなく、)"He is useless." なんて言われちゃった場合、しわ寄せを受けるのは中間管理職(私や秘書)。どんな人を何のために採るかを戦略的に考えればよさそうなものだが、化学の経験を人事に応用するのは、ボスにとっては難しい事のようである。

8/13/07
    コンビニの前を通った際、警官と言い合いをしている人がいた。どうやら、車いす用のスポットに駐車したのを運悪く見つけられ、駐禁を取られたというのが真相。車の持ち主は「ほんの5分ほどじゃないか」と反論していたが、それは駐車した事実を認めたも同然の言い分故に、裁定が覆されるはずもなく、渋々駐禁の切符を受け取ったようである。融通が利かないという見方もあるかもしれないが、ハンディキャップを持つ人々への対処方は、日本とは比較にならないほど明確にルール化され、かつ遵守されているようである。

8/11/07
    何日か前の真夜中に地震があったような気がしたのだが、アメリカでは一度も揺れを感じたことがなかったので、「気のせい」という事にしていたのだが、たまたま学生と話をしていたときに、彼もその地震を検知していた事を知った。しかしそれ以上に驚いたのは、地震に遭遇したのは生まれて初めてだったという彼の弁。日本にいれば、鈍感人間でさえ年に数回は揺れを感じるものだが、ミシガンのような地震とは無縁の場所に住んでいたからこその経験なのだろう。その意味では、アメリカとは随分広い国のようである。

8/10/07
    日本に戻ってきてからというもの、家の柱の中に住み着いたアリか何かの虫が木材を蝕んでいるようで、床の上に小さな粉(糞?)がまき散らされるようになった。いつ掃除をしようともすぐに汚される事から、夜行性の虫の仕業ではなさそうだが、迷惑極まりない話である。黙っているのは、科学者の端くれとして我慢ならないので、ラボにある万病薬(?)のアセトンをシリンジを使い木材の中に注入してみた。予想通り、その効果は覿面。虫の生死までは定かじゃないが、余計な掃除をせずに済むようになった事だけは確かである。

8/8/07
    新PC にもだいぶ慣れ、これで仕事に専念・・・と考えていた時の出来事。運悪く、本棚の上のハードカバーの本を取ろうとした時に手が滑り、本がキーボードを直撃してしまった。どこも壊れてはいないように見えたのだが、専門書がG のキーを破壊したようで、一度そのキーを押してしまうと、キーが押されたままの状態に固定されてしまった。キーボードを分解し、物理的にねじ曲げられた金属部分を元に戻すのに要したのは約一時間。簡単に直せたからよかったけれど、あまり味わいたくない試練の一つであったことは言うまでもない。

8/6/07
    普段はカードを使う事が多いのもあるが、LA に来てからあまり見かけなくなった、お札の追跡企画(Bill Tracking)に遭遇。web には、一億枚以上(総額だと6 億ドル超)のお札にスタンプが押されていると書かれているが、あまり見かけないと言うことは、アメリカでも、お金は一部の人のところへ集中していると言えるのかもしれない。それはさておき、wheresgeorge.com へアクセスしたところ、このお札ここから少し(24 mi)離れたNewhall からやって来た物と判明。確かに、お金の流れの遅さを実感するには十分な距離である。

8/4/07
    一時帰国中に日本で衝動買いをしたものの、ろくにセットアップもしないまま放置されていたPC へ、データを移し替えることにした。意外にも研究関連の多くのソフトは単純にコピーしただけでも動いてくれたので、全体的にはすんなりと終わったように思う。しかし、OS (Vista) が変わったせいで、使い勝手をよくする上での設定変更にかなりの時間を要した点は予想外だった。慣れてくれば、開発者の意図が見えてくるとはいえ、最初の山を超えるのに、時間がかかるようになったのは、歳のせいなのだろうか?(認めたくないものだが)

8/3/07
    数人のアジア人から、論文の草稿を見てくれと立て続けに頼まれた。私が英語を見るとは世も末、なんて気楽に構えていられたのは初めだけ。読み進めていくうちに、これはアメリカ人でも手の施しようがない、という悲しい現実を実感。結局、草稿のかなりの部分を書き直す羽目になってしまったのだが、私自身の論文が、ろくに時間もとれずに放置されている事を考えると、迷惑な話といわざるを得ない。母国語でさえ、論理的に話を組み立てられない彼らが、なぜ学位を取れたのか(orもうすぐ取得)、私には不思議でならない。

8/1/07
    ずいぶん前から気になっていたのだが、夜中にスペイン語放送のテレビをつけると、くだらないゲームをしている番組に出くわす。話の内容は英語にも増して全くわからないのだが、変な着ぐるみを着た人達が、毎回しょうもないゲームに挑戦しているので、ただ見ているだけでもそれなりに笑える。なお、この手の企画が、案外、日本のテレビ文化に似ているように感じられるのは気のせいだろうか。いつぞやの「風雲!たけし城」のようなものをスタジオ内で撮ろうとしたら、"Buenas Tardes" のような番組ができるという意味で。

7/30/07
    考えてみると、今年はほとんどTour de France を目にすることなく終わってしまった。レースが始まった頃、ネットもせず日本で飲み歩いていた(?)のもその一因だが、昨年から続くドーピングがらみの事件が興味をそぐ大きな要因になっていたように感じる。強豪選手が次々と処分されているところを見れば、結構な数の選手が薬漬けになっているのは暗黙の了解か。Rasmussen が去っていった翌日、自転車好きの友人が悲しそうな顔をしていたのが印象的だっただけに、自転車界に浄化作用がある事を期待したいものである。

7/29/07
    日本のニュースを見たら、選挙一色だった。その結果はあらかた予想通りだったが、相変わらず選挙民の意識はずいぶん低いところに設定されているような気がしてならない。年金問題は重要だが、それは必ずしも自民党の失政とは言い切れず、民主党の某支持母体の体質こそが諸悪の根源というのが私の本音。今回の選挙結果が結果的に政界再再編につながるならいいが、叩けば埃が出るのは民主党も一緒。成熟した政治を求めるなら、国民自身が成熟していなければならない事を確認するには十分だったけれど・・・。

7/27/07
    ラボの某ポスドクの送別会という趣旨で、某学生がパーティーを企画した。休暇中の人を除けば、参加しなかった人の方が珍しいくらい盛況ぶり。ここ数ヵ月間の間に出て行った他のポスドクに対しては、送別会をかねて飲みに行くことすらなかったことを考えると、その人の人望ラボへの貢献度は、なんだかんだ言いつつも周囲からしっかりと評価されているのがよくわかる。私がここを出て行くときはどうなるのだろう?むろん、出て行く頃になって周囲からの評価を知らされても、ちょっと遅すぎるような気がしないでもないけれど。

7/26/07
    いつも同じような時間のバスを利用していると、よく見かける乗客と運転手が存在する。今日は、運転手と乗客が、車内で悪ふざけを繰り返していた。例えば、いつもの客の乗車の際に車いす用の対応(乗車口の高さを下げる)をしたり、意図的にバス停を通過してみたりと言った具合に。そして、乗り込んできた客とのやり取りを録音し、車内に流してもいた。いつもの連中のやり取りなので、他の乗客は笑っていたが、日本ならば通報する輩がいたとしても不思議ではない。日本人はもう少しいい加減になってもいいと、私は思うけれど。

7/24/07
    今日はいつにも増して仕事の進まない一日だった。午前中はprospective postdoc の講演会と、その後のラボでの研究紹介+ランチ。午後はと言えば、9 月にHK で開かれる学会のための航空券の手配で数時間のロス。学会側が航空券代を負担するため、いつものようにUA で・・・、と行かなかったのが大きな誤算だった。なんとか夜までにはDOE のレポートを書き上げたものの、データが無いので中身は散々。ゴミデータばかり報告していたために、いつの日か予算が(そして私のクビも?)切られないことを祈るばかりである。

7/23/07
    中国籍を持つ場合、息子に会う事が渡米の目的であったとしても、彼らの両親はビザを申請せねばならないらしい(一年間有効だとか)。むろん書類を揃えて大使館に行けばいいだけなのだろうが、不法移民を防ぐ目的もあり、銀行口座の残高や収入を証明する書類も提出せねばならないらしい。某学生さんは、残高を多く見せかけるために、何人かの友達に、一時的にお金を借りたとか。そこまでしないとビザがもらえない国と比較すれば、90日間までのビザ無し渡航が認められている日本は、とてもありがたい国である。

7/21/07
    日本に戻った時の最初の一週間は、何となく違和感を覚えた物だが、その逆はどうかと言えば、ほとんど無い。日本での妙な感覚が、昔の日本との違いから来たのか、ただ単に不慣れな土地に来てしまったためなのかは、未だにはっきりしないが、あまり歓迎すべき事でないのは確かだと思う。とはいえ、たった二週間の滞在中に、二回も職務質問をされてしまったくらいだから、いつの間にか日本人の皮をかぶったエセアメリカ人に変身してしまったのかもしれない。そろそろ本格的に移住を考える時期なのだろうか?(ウソ)

7/19/07
    現実逃避の旅(?)も終え、ラボに戻ったところ、一人が去り、二人が新たに加わっていた。日本にいたのはほんの二週間ほどだったというのに、結構な人の出入りである。その前者の彼は、国に帰る前にメキシカンマーケットで置きみやげを買っておいてくれたらしく、今日になってラボの学生さんが持ってきてくれた。しかし、実際に手にした物は、想像以上に大きなメキシカンハット。メキシコではいいのかもしれないが、LA で普段かぶるにはあまりにも大きすぎる。今回は、証拠写真を送ることで勘弁してもらうことにしよう。

7/18/07
    慌ただしかった日本滞在も今日で終了。仕事を忘れ、毎日のように飲んだくれている生活もいいが、そろそろ社会復帰せねばならない時期なので潔く出国することに。さて、LA に着いてからの感想。日本が梅雨の末期だったせいか、LA の空がいつも以上に青く見えた。「これを経験したら日本には住めない」というのは言い過ぎかも知れないが、天気がいいと気分も明るくなるように思う。しかし、日本ではどこにでもあるソバ屋やラーメン屋は皆無。もう少し美味しい食べ物が簡単に手に入れば言うこと無いのだが・・・。

7/16/07
    東京駅へ行ったら、警視庁の○○です、と名乗る男性から声をかけられた。普段、「東京駅を使っていますか?」と言うのが質問だったのだが、実はこの手の職務質問は、今回の滞在中で二度目。アメリカで生活する前は、こんな経験は一度もなかったこともあり、なぜ声をかけようと思ったのか、と逆に聞いてみたところ、キョロキョロしている点が怪しかったとのこと。しかし、なぜ地方から出てきた人には見えなかったのだろうか?アメリカで買った物しか身に付けていなかったとは言え、それだけが理由だとは思えないと言う意味で。

7/13/07
    今回の一時帰国中には様々な人との再会を果たすことができたが、その大部分は、昔からあまり変わっていないようだった。それでも、我々もそれなりに責任を求められる世代になったためか、仕事において順調に実力を発揮している知人からの話を聞く機会が多かった点は印象的だった。それなりに成功を収めている知人とのつきあいを続けるには、私自身も頑張り続けねばならないと言う意味で、次回の(一時)帰国までに達成すべき事のリストを作る必要があるのかも知れない。どうせ、予定通りには進まないのだけれども・・・。

7/11/07
    ようやく学会が始まった。講演の内容は別にして、気になったのが日本人の英語。決して、彼らが流暢に英語を話す姿を期待している訳ではないが、英語と日本語の決定的な違いを再確認した方がよさそうな先生方が意外に多かったような気がする。もう一つは、テキストを丸暗記したような表現が多用されていた事。英語としては間違っていないが、普段アメリカで耳にしない表現が繰り返されているのは不思議な感覚である。発表内容は英語に優先するとは言え、簡単に矯正できそうな問題が山積しているのは残念でもある。

7/8/07
    帰国前、ラボの韓国人のポスドクに、Gundumプラモデルを買ってきてくれと頼まれたのだが、私はプラモデルなんて20 年以上買った記憶がない。そこで、何人かの友人に聞いてみたところ、さくらやのホビー館行くべきとのこと。実際に足を運んでみたところ、予想以上に多くの商品が並んでいたが、私の友人が探していた物は限定品のようで、そんなお店の人でも扱ったことはないらしい。プラモデルの無駄に大きな箱をアメリカに運ばずに済んだのはよかったが、彼にとってはちょっと残念な結果に終わってしまったようである。

7/7/07
    昔懐かしの某W 大学へ遊びに出かけたところ、予想以上にあちらこちらが変わってしまっていた。さて、その後の飲みの席で聞いた印象的な話。30 代のうちにも責任のある仕事を任される事はあるが、40 代のそれは30 代に比べると、明らかに重みが違うとか。言い換えるならば、いずれ来るかも知れない責任を全うするには、今から自分自身を鍛え上げておかねばならないと言うことなのだろう。たびたびボスから降ってくる丸投げの雑用にいちいち文句を言っている私には、責任を全うするなんて無理な相談のようだけれど。

7/4/07
    昼前に、ちょっとした講演をするために某地方大学へ向けて出発。100 枚超のスライドを使い、1時間あまり話をしたのだが、日本語とは言え、意外に言葉が出てこない。準備不足は否定しないけれど、その後の懇親会でも、一部の人から日本語が出て来ていなかったんじゃないかという手厳しい(?)コメントをもらってしまったくらいだから、professional な語りではなかったと言うことだろう。アメリカにいると英語の勉強が必要だが、いつの間にか日本語も勉強し直さないとまずい状況に入りつつあるのかも知れない。

7/3/07
    約2 年半ぶりに日本に到着。が、飛行機から出た途端に閉口させられたのは湿度の高さ。いつの間にかLA の気候に慣れてしまったのだろうが、ここは私の国じゃない、と言うのが正直な感想だった。その後の実家まで道中、今度は、お互い異様に接近しながら建てられている住宅を見て、これまた妙な感覚に。土地の値段を考えれば無理もないが、知らないうちに、随分アメリカに毒されていた(?)ようである。米国滞在の4 年間は、それなりに頭の固くなった世代にとっても、考えを変えるには十分な時間だったということか。

7/1/07
    テレビで見かけた変な商品の一つに、こんな釣りの道具がある。そもそも、釣り竿を使わずに、ライフルのような道具を使うというのは、本当の釣り師からすれば邪道以外の何物でも無さそうだが、子供の入門用という位置づけなら、それはそれで価値があるのかも知れない。実用性を考えるなら、同じ会社が売り出していた寝袋の方に分がありそうだが、奇抜な物を売りだし、なんとか利益をあげようとするアメリカ的発想には、時に敬意を表したくなるものである(実際に買ったら失望するんだろうけれど・・・)。

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