ジミー・ペイジ、“英語でしゃべらナイト”出演

NHK2004年4月5日放送


そして70年代に活躍した伝説のギタリスト、あのレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが日本のステージに登場。レッド・ツェッペリンの映像集は日本で洋楽ビデオの最高ヒットとなり、ゴールド・ディスク大賞に輝いた。

ジミー:
この受賞をとても誇りに思います。若い人達がかつての私達の演奏を見て共感して、伝えたかった事を受け止めてくれるのは最高の幸せです。

多様な音楽のジャンルを融合させ、時代を切り開いた70年代のスター達。彼等が再び注目される秘密とは?

パックン:世界屈指のミュージシャンにもうすぐ会えます。ロック史上最高のアーティストの一人、驚異のギタリスト。松本さんなら失神するところです。私もドキドキしています。 いらっしゃいました! こんにちは、パトリックです。
ジミー:こんにちは、初めまして。
パックン:かっこいいですね!

ジミー・ペイジ――70年代に旋風を巻き起こした伝説のギタリスト。
1944年、イギリス生まれ。68年にレッド・ツェッペリンを結成、「天国への階段」などの名曲を世に送り出した。個性的なメロディと卓越したテクニックが尊敬を集める。


パックン:僕も昔ギターを練習してました。初めて弾けるようになった曲は「天国への階段」で、感動しました。もちろんちゃんと弾けたわけではありません。でも何か凄いことに参加しているような気がしました。
ジミー:ミュージシャン達が私達の音楽を教科書だと思ってくれる事、こんな嬉しいことはありません。
パックン:レッド・ツェッペリンの時代と、今の時代を比べて何か思うことは?
ジミー:最も大きな進歩はコンピューターを駆使した音楽や、DJの出現です。その発想と感性は柔軟です。楽器で演奏する生の音をうまく活かしています。
パックン:電子音楽を否定しないのですね。
ジミー:しませんよ。音楽は聴く人によって騒音にもなれば心地よい音にもなる。音楽の向こうに道が見えることもある。必ず誰かの感情を動かすものだからどんな音楽も良いのです。

<INSPIRATION>

ギターの神様ジミー・ペイジのインスピレーションはどこから? 質問するのは日本の伝統楽器を操るこの人。 (上妻宏光の♪WHOLE LOTTA LOVE 上妻流アレンジの演奏)


上妻:こんにちはジミー、上妻といいます。僕は三味線奏者です。僕は長年あなたの音楽を聴いてきました。あなたに質問があります。
上妻宏光は津軽三味線をジャンルを超えたスタイルで演奏し、海外で注目されている。上妻はレッド・ツェッペリンに多様な音楽の融合を学んできた。

ジミー:彼のスウィングはすばらしい。演奏を聞けて楽しかった。彼は明らかにこの楽器の達人ですね。
上妻:あの凄いギターのリフはどうやって作るのですか。インスピレーションはいったいどこから?

リフとはギタリストが一曲の中で繰り返し演奏するフレーズ。ジミー・ペイジはリフの達人だ。

ジミー:リフがどこから生まれるか、説明するのは難しい。演奏を始めた途端、何もなかった所に一瞬のうちにリフは生まれるからです。 私は多様な音楽を聴いてきました。ブルース、ロック、フォーク、インドやアラビア音楽などあらゆるもの、何でも聴いてみた結果、僕の中で変化して何かが生まれるのだと思う。聴いた音楽を演奏できるのではなく、その音楽が何かのきっかけになる。例えるなら大きななべで煮込んだ…日本にあるだろう? ありとあらゆる野菜が入ったスープ…
パックン:チャンポンかな?
ジミー:それだよ、それ、チャンポン!
パックン:すばらしい。ミュージカル・チャンポンですね。
ジミー:お見事。パトリック。
上妻:いつか一緒に弾きましょう!

ジミーと上妻のチャンポン、ぜひ聴いてみたいものだ。

レッド・ツェッペリンは70年代の伝説のバンド。静かなギターで始まるのはヒット曲「天国への階段」だ。ロックを志しギターを弾く若者なら誰もが一度は練習するフレーズだ。まさにそんな姿が登場したドラマがある。それは―― (TBS「3年B組金八先生」で中学生がアコギで「天国への階段」を弾いているシーン) 1979年、15歳の野村義男だ。野村義男は人気アイドルを経て今は日本を代表するギタリスト。彼が最も尊敬しているギタリストがジミー・ペイジだ。英語で質問する。


野村:僕は野村義男です。20年間ギタリストをしています。僕があなたの曲を初めて聴いたのは13歳の時でした。それからずっと聴き続けています。
最初の質問です。あなたは昔のギターを保管していますか? 例えばサイケデリック・ペイントのギターはどうですか。

サイケデリック・ペイントのギター?
それはジミー・ペイジがかつてレッド・ツェッペリンを結成した頃に愛用していたこのドラゴン模様のギターだ。


ジミー:信じられないけど、今も持っています。例えば明日コンサートがあればあのギターを使うかもしれません。自分で色を塗ったギターでした。古い写真には写っています。ヤードバーズにいた時代と、レッド・ツェッペリンの初期です。あるツアーの時私はそのギターを家に置いていきました。その時留守番をしてくれたのは陶芸家の友達でした。
パックン:いやな予感がする。
ジミー:私が戻ると彼は「ギターに色を塗ってあげたよ」と言うんです。
パックン:なんてことを!
ジミー:彼は古い絵を消して色を塗ったのです。
パックン:ひどい!
ジミー:でもそのギターは今でもあります。友達の描いた絵は消してしまいました。
パックン:元に戻したのですね。色を塗り直してはいないんですか?
ジミー:まだです。でもこんな質問を出してくれるなんて面白いね。
パックン:何百万という人たちが、テレビの前で泣いているでしょうね。
野村:今はどんな楽器や音楽が好きなのですか?
ジミー:野村さんは私の音楽を13歳から聴いていると話していました。私は11歳からロックを聴き始めて12歳の頃ギターを始めました。家にはギターがあったけれど、なぜあるのか両親は知りませんでした。 学校にギターを弾ける友達がいて、チューニングを教えると言われました。その時スピーカーから聞こえてきたギターの音が私の世界となりました。私はとりつかれてしまって今でも変わっていません。私は今もギターが大好きです。人それぞれの解釈や実験も好きです。ギターの6本の弦から素晴らしいテクニックが生み出されるのです。例えばフラメンコの演奏法をエレキギターに生かすことができます。 ギターにあるのは6本の弦だけ。私はその奴隷となるか主人となるかどちらかなのです。

ジミー・ペイジ・インタビューの最後の一言をもう一度。

What ever it is,it's 6 strings and that's it,I am a slave or a masuter to it.

ギターにあるのは6本の弦だけ。私はその奴隷となるか主人となるかどちらかなのです。


ギターを愛した男の力強い言葉だ。



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