HOME >> 最近の話題 >>
一時帰国 #2

 前々から、あの研究所には無駄なものが多いと思っていましたが、今回一年ぶりに顔を出したら、さらにすごいことになっていました。同業者の方でも、よその研究室をのぞく機会は少ないはずですので、ちょっと眺めてみてください。


比較的稼働率の高い装置たち
 どれくらいの割合の人がまじめに実験をしているかは問わないにせよ、それなりに稼働している装置もそこそこあります。

 言わずもがなですが、これらの装置は、材料合成をしたり、簡単な評価をする上では必須の装置。稼働しているというのは当然の話です。オーブンや電気化学用の装置は、もっと数があってもいいんじゃないかと、一年前は、感じていました。

 こちらは、ちょっと大きめの装置(特に左側の二つ)。もちろん、現在はだいぶ単価も下がっているから、研究室に1-2台あったとしても驚きませんが、貧乏な大学なら、共通機器の一つになってしまうのかもしれません。

 

ほとんど使われていない装置たち
 さて、ここからが本題。やはり、たくさんでてきました、使われていない装置たちが・・・。買った人が悪いのか、使わない人が悪いのかはさておき、どんな物があるのか、ちょっと見てみましょう。

 どこの会社にだって、使われていない機械の一つや二つはあるものだから、これが、某研究所に特殊な出来事だとは言わないけれど、それにしても、不要な装置の数がちょっと多すぎます。以下に、まだまだ続きがあります(メインの装置だけ載せることにします)。

 個人的に気になるのは、一体いくら投資していて、そのうちのどれくらいを減価償却しているのかと言うこと。そりゃ、年数を得れば、償却していく割合も上がるだろうけれど、1/3がいいところかな・・・、という気がしてなりません。なのに、以前は、NMRも欲しい・・・なんて言っていたの「び太くん」、お金をたくさんくれる「ドラえもん」はそんなにたくさんいませんよ・・・。

 

もっと高価なもの?
 上記の装置なんて、足し合わせたところで数億円になるかどうか。デフレから脱却し、景気をよくするためには、多少の無駄遣いも必要なのかもしれません。もっとも、研究所内の各グループが、似たようなお金の使い方をしていれば、とんでもないことになりますが、とりあえず、そこまでは踏み込まないことにします。

 でも、この研究所には、もっと高価なものがたくさんあります。たとえば、右下の建物(何百億かけたのでしょう?)。最近、新しい研究員の採用数が激減しているはずなのに、研究棟や実験棟といった類の建物だけは、ものすごい勢いで増殖しています。一体誰が何のために使うのでしょうか。そもそも、某研究所にいる研究者の少なくとも三分の一はポワ〜ンとしていて、何をしているのかよく分からないと言うのに(隠れて昼寝をするには最適かもしれませんが・・・)。

 ついでに言うと、最近、研究所の敷地内の駐車場の屋根の上に、太陽光発電のためのパネルまで取り付けられました。こんなものをつけたところで、電気代の元なんて取れやしないということを、東大や京大を出たお偉いさんが理解していない、というのは驚きです(しかも、発電量が電気の全体使用量の何%かを示す、大きな電光掲示板がちゃんと存在している!)。研究者だったら、そんな表面上のイメージづくりなんてやめて、正攻法で省エネ・節電に取り組むべきだと思うのは私だけではないはず。

 どうしても電気代を節約したかったら、ちょっと前に取り付けた、各部屋ごとの個別空調装置(要するにエアコン)を使わせなければいいだけじゃないか、と感じてしまいました。だいたい、勤務時間内は、全館冷暖房が入っているわけだし、最近は、5時になると、「残業しないで家に帰れ」という放送まで流している事を考えると(←そんなことで研究が進むのかと、聞いてはいけません・・・)、そもそも何のためにエアコンを取り付けたのかですら、理解できませんが。

 

最後に暴言を・・・(でも、正論だと思う)

 世間でやり玉に挙げられているのは、NHKや社会保険庁かもしれないけれど、つくばの某研究所でやっていることは、金をドブに捨てているという意味において、それと大して変わりません(あと、存在意義を失っているという意味でも)。

 

 どういう事かというと・・・。研究をするにはお金が必要ですが、そのお金は、経済産業省(や、時に文部科学省)からもらいます。しかし、一度もらってしまった予算は、何があろうとも使い切らなければなりません。予算を申請する時には、「○×に関する研究をしま〜す」なんて調子のいいことを言うけれど、経験上、その通りに進んだ事なんてほとんどないし、その点は予算の配分を考える方も織り込み済み。つまり、審査をする方にとって見れば、どのみち誰かに配分しなければならないから、誰にあげてもいいや・・・、というわけですね。

 お金が比較的均等にばらまかれればいいのかもしれませんが、不思議なことに、お金のある研究室にはお金が集まってくる・・・という傾向があります(要するに、研究者からなる審査員集団がお友達の研究者にお金をばらまいていると言うことですね〜)。

 さて、仮にたくさんの予算をもらってしまうと、これからが大変。独立行政法人になったとは言っても、所詮は国のヒモ。単年度決算という決まりを守らねばなりません。でも、これがまたくせ者。国家予算が成立してからじゃないと使えないし、会計手続きの制約上、年度末までに、残金が0円になったという報告書を出さねばなりません。つまり、事実上お金が使える期間は7月頃からせいぜい翌年の1月末までなので、およそ半年の間に、散財しなければならないと言うこと。このしくみが分かれば、大して必要でもない高価な装置を買ってでもお金を使い切ろうとする人の気持ちが、少しは理解できるかもしれません。

 

 でも、ちょっと考えてみてください。全ての実験装置を、自分たちのグループで買い、管理し、使う必要はどれほどあるのでしょうか?この辺の考え方が、アメリカの大学とは、決定的に違います。

 ここミシガン大では、装置の貸し借りはかなり日常的に行われています。大して知識もないのに、高価な装置を買うよりは、その道の専門家に相談し、測定してもらうことも、決して少なくはありません。少なくとも、お金の有効利用と、データの正しい解釈という観点からすれば、この方が絶対に合理的です。

 しかしなぜ、日本では装置の貸し借りをいやがる人が多いのでしょう。答えは簡単、壊されるかもしれないと言う表向きの理由もさる事ながら、共同研究をすることにより、他人に業績を奪われるのをいやがる人が多い、というのが真相。そりゃ、誰だって、他人の力を借りずに仕事ができるに越したことはありませんから。

 実はここに、日本とアメリカにおける、研究の評価方法の違いが隠されています。日本では、基本的に、論文をたくさん書いた人が偉い、という評価システムが取られています。つまり、くだらない結果であろうと、信憑性に乏しい結果であろうと、論文になりさえすればいいということになります。さらに、論文の共著者として、先頭に名前のある人が偉いので(後ろに続く共著者は多くの場合、邪魔者あつかいされる)、できるだけ共著者の数を減らして論文を発表しようとする人が多く出るわけです(事実、最後の方に名前のある人は、何の貢献もしていないことが意外に多い)。

 一方のアメリカでは、論文の質を重視します。質というのは、必ずしもレベルの高い学術誌に発表することを意味しているわけではなく、完成度の高い論文を書くことが求められているというわけです。言い方を変えれば、同業者の方に、引用してもらえるような論文を書くように心がけている、ということかもしれません。その道の専門家を取り込み、高いレベルの研究を続けた結果、本数は少なくとも、質の高い論文が書きやすいのは言うまでもないでしょう。したがって、論文の共著者として何番目に名前があろうと、その貢献度は変わらない、と考えるのが一般的です(研究に対する貢献がなければ、共著者になることなど決してない)。

 

 この考え方の違いが、最終的にどんな形で現れるか、おそらく日本のお役人は分かっていないように思います。技術立国だとか、国際競争力、なんて言っていても、論文数を増やすための小手先の研究をしているようでは、たいした結果は得られません。さらに困ったことに、腰を据えて、じっくりと研究を続けねばならない時があろうとも、論文数がないと研究費が取りにくい日本では、予算を取るための研究(本数稼ぎの仕事)をせねばならないことが多い点も否定できません。

 どこぞの研究所の某グループリーダーは、「ほかの研究者の猿まねでもいいから、論文を書かないと評価されない・・・」と言っていたようですが、悲しいかな、これが日本の現実。こんな事をしているようでは、アメリカの研究機関に太刀打ちできるはずがありません(つまり、仮にゴミ論文が量産できようと、基本原理の発明には、何一つ関わることはない)。

 ついでに、もう一つ言っておくと、決定的に間違っているのが、つくばの某研究所の研究方針。そもそも、すでに民間企業が製品化しているようなものを、何で今更、重要なプロジェクトとして扱わねばならないのでしょう?国家のヒモ研究所なら、もっと先端研究をすべきであろうに・・・、と考えると、その存在意義自体すでに消滅しているように思います。

 ちなみに日本の企業は、そんな時代遅れの発想しかできない某研究所など相手にせず、海外でいい研究をしている所を見つけると、それをどこからか嗅ぎつけるという、優れた能力(?)を持っています。ここミシガン大にも、私がアメリカに来てからの一年ちょっとの間に、いくつかの日本企業の方がやってきました。よく言えば情報収集、悪く言えば、こちらの大学の技術を買いに来た、ということです。

 

 結局、これが現在の日本の状況を端的に表している、とも言えそうです。ある程度物作りに直結する研究においては、企業の研究レベルの方が、日本の某研究所よりも高いと言うこと。でも、その基盤技術は、日本の研究機関や大学が必ずしも持ち合わせているわけでもないので、どこからか買えるものなら、なりふり構わず金を出す。だって、最終的に、製品を売りまくり、その分を回収すばいいわけだから。それに加えて、アメリカの大学院(ドクターコース)に留学している化学系の人は、(純粋な学生よりも、)案外企業から派遣されてきている人が多いという現実を併せて考えれば、日本の基礎研究の基盤の脆さ(と、それが本当に軽視されているという現実)が、何となく想像できるのではないでしょうか。

 独法化したのだから、自分たちで研究資金を稼げとか、特許の収益をあげろとか、調子のいいことばかり(現実を知らない)お役人は言うけれど、現実はそんなに甘いものじゃないように思います。そんなことを言う前に、国家としての研究戦略を独自に立てると共に、それを達成するためには、本当に何が必要なのかを考える事こそ重要なはず。やみくもに金をばらまいたところで、得られる成果なんてたかが知れている、と言う意味で。